未来を担う医療人の育成と知の探求
昭和43年,着工以来3年を経て建設中であった当時東洋一を誇る附属板橋病院が完成した(地上8階,地下2階,許可病床1,220床,延べ床面積42,160㎡,総工費24億円,請負業者は清水建設)。建設実行委員長は永澤滋であった(病院ニュース第159号 昭和41年9月25日)(写真1)。初代病院長には永澤滋,副病院長には土屋俊夫が就任した。新しい附属板橋病院の開設は昭和45年6月1日のことである。それ以前の板橋病院は,昭和23年1月に完成した外来棟(最初の復興外来棟)と昭和34年に増築されて690床となった木造2階建ての入院病棟をそのまま使っていた(病院ニュース第77号 昭和55年6月25日)。ただ旧外来棟の解体と付帯工事のため新病院の落成披露まではなお1年を要し,昭和46年6月1日に完成披露宴がおこなわれた。当日鈴木日大総長,高梨理事長によるテープカットとともに高梨理事長から永澤病院長に新病院のカギが手渡された。その後地下1階の病院ロビーにて披露パーティが開かれた。開設当初の板橋病院の概要については医学部50年誌,181ページ以下に詳しい。 板橋病院戦後復興期の建設を第1期とし,大学院棟・板橋病院の建設までを第2期として,以後の板橋病院とキャンパスの整備は新・第2期総合建設計画(萩原忠文委員長)として実施された。これにはその後の基礎教育棟(1号棟竣工,昭和53年3月。2号棟竣工,昭和63年2月),臨床講堂(昭和51年3月竣工,写真2),基礎教育研究棟(昭和50年2月,写真3),動物舎,体育館(昭和49年10月完成),学生部室の整備などが含まれている。 同窓会館を兼ねた図書館棟は昭和42年2月,本部理事会でその建設が承認されたが,その後,全国及び大学・医学部内に吹き荒れた学園闘争の余波で建設は遅れ,昭和54年9月26日,12年の歳月を要してようやく医学部創設50周年記念図書館として竣工にたどり着いた(写真4)。その建設費の多くは同窓生の寄附に負っている。 医学部総合建設第2期工事は記念図書館棟の完成をもって終了し,昭和54年9月,体育館において第2期建設落成記念式典が開催された。その後も救命救急センター,放射線研究棟等の臨床・基礎設備の拡充が進み,さらに,医学部創設70周年記念事業の一貫として平成12年先端医学総合研究センター(リサーチセンター)が建設された(竣工は平成12年6月)(写真5)。平成13年11月に先端医学講座が設置され,平成19年4月からは先端医学系〈当初,7分野〉となり,公的研究費の助成を受け活発に研究活動を行っている。