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100年の歩み

未来を担う医療人の育成と知の探求

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医学科時代の関連病院

日本大学新宿醫院

 「今度新宿3丁目に醫学科附属の総合診療所が開設せられた-その場所は新宿伊勢丹の交叉点より約1丁許り甲州街道に入ったところである-この診療所は従前新宿第一診療所と称して比較的この方面で名の知られたものであったが,それを醫学科が購入し,去る9月15日より診療に着手する(開院)運びとなった」。この記事は「同窓会報−6−(昭和14年10月12日発行)」にある。院長本名文任教授,以下複数の標榜科に助教授,講師クラスの名前が見える。

院長兼学監 本名文任
内科 川村学講師(第一回生)
外科 吉武清吾助教授
産婦人科 宇根本万次(第六回生)
小児科 遠山道夫講師(第三回生)
耳鼻咽喉科 牧山堅一(第六回生)
皮膚科 未定
眼科 未定

 当時の医学科同窓会はこの開設に関与していなかったらしく,「何のための新宿醫院開設であるか,当局の意心奈辺にあるや了解に苦しめられた向きも見受けられたが-」と,医学科によるその設立(買収)意図に疑問を呈している。醫学科,教職員の経済的支援を前提にしていたことは想像に難くないが,昭和15年1月発行の「学友会雑誌 第25号」の「5年の頁」には,「後学期」から始まるポリクリは「板橋,駿河台,新宿」とあることから,「教育目的」にも利用されていたようである。  この日大新宿醫院がいつまで「醫学科附属」として存続していたのかは不明である(資料上確認できない)。「同窓会60年史」の中に有賀槐三元教授の発言として,「小坂教授が戦後しばらくその2階で診療所をやっていた」とある。

徳右衛門町診療所

 徳右衛門町診療所は駿河台病院開設後,第2回生卒業直後の昭和5年4月10日に開設され,診療とともに学生の臨床実習に利用されてきたが,駿河台病院の充実により昭和7年に閉鎖されている(医学部50年史)。所長は当初壁島美明博士であったが同年10月依願退職されている(日本大学専門部医学科・医学部一覧,昭和17年)。付属施設としての期間はわずか2年ほどであった。本所徳右衛門町とは現在の墨田区立川2,3丁目,三ツ目通り「三之橋」付近と思われる(「東京時代MAP 大江戸編」,松岡満,光村推古書院,平成29年)。日大医科最初の「関連病院」と言える。