未来を担う医療人の育成と知の探求
Founding period
創設期(1925年〜)
大正時代,日本社会は近代化の道を歩む中で,専門的な医療を提供する医師の不足という大きな課題に直面していました。この時代の要請に応えるべく,日本大学は総合大学として医学部の設立を計画。その中心人物となったのが,初代医学科長・額田豊先生でした 。 「医学は人間の幸福を実現する学問である」という強い信念を持っていた額田先生は,技術だけでなく人間性を重んじた臨床医の育成を熱望していました。その情熱が実り,大正14年(1925年)3月,日本大学専門部医学科が駿河台の地に開設されました 。 翌大正15年(1926年)には附属駿河台病院を開院。昭和10年(1935年)には附属板橋病院を開院し,昭和12年(1937年)には現在の板橋キャンパスに校舎を移転。ここに,今日の日本大学医学部の礎が築かれたのです。
Development period
発展期 (1940年代~1970年代)
昭和17年(1942年),専門部医学科は「医学部」へと昇格。しかし,その発展は太平洋戦争の激化によって大きな試練に直面します。昭和20年(1945年)4月,戦災により附属板橋病院は全焼するという壊滅的な被害を受けました。
しかし,医学部の灯は消えませんでした。終戦後,教職員と学生,同窓生が一丸となり,驚異的な速さで復興を成し遂げます。昭和23年(1948年)には附属板橋病院の外来棟が復興し,昭和27年(1952年)には新学制による医学部医学科として新たなスタートを切りました。
そして昭和45年(1970年),現在の附属板橋病院が新築落成。当時「東洋一」とも称された最新鋭の設備を誇るこの新病院の完成は,戦後復興の象徴であり,本学部の教育・研究・診療が大きく飛躍する原動力となりました。さらに昭和52年(1977年)には,医学部創設50周年記念式典が挙行され,総合医学研究所も設置されるなど,その歩みを確かなものにしていきました。
Modern
現代 (1980年代~)
安定成長期から平成,そして令和へ。医学部は医療の高度化・専門分化に対応すべく,進化を続けてきました。平成3年(1991年)には附属板橋病院に救命救急センターが開設され,平成5年(1993年)には高度な医療を提供する「特定機能病院」として承認されました。
研究面でも,平成12年(2000年)に創設七十周年記念館(リサーチセンター)が竣工し,基礎と臨床の連携を強化。平成26年(2014年)には,歴史ある駿河台病院が「日本大学病院」として新築移転し,新たな医療拠点として生まれ変わりました。
そして創設100周年を目前にした令和5年(2023年),次の100年を見据えた「板橋病院の建て替えおよび板橋キャンパス再整備計画」が承認されました。これは,絶えず未来を見つめ,挑戦を続ける日本大学医学部の姿勢を象徴しています。
Chronology

額田豊教授




附属板橋病院棟復興




附属高等看護学院新校舎落成

附属稲取病院開設

附属練馬光が丘病院開設


日本大学病院