対談
(インタビューアー:山田敏弘)

1951年に開設された日本大学医学部の法医学教室は、附属板橋病院のすぐ隣に位置する基礎教育研究棟にある。
2020年4月、法医学教室の3代目の教授として奥田貴久先生が着任した。奥田教授に、法医学の魅力について聞いた。
そもそも法医学とは、どんな学問なのでしょうか?
法医学というのは、法律上の問題となる事柄に医学の原則を適応し、問題の解決にあたる学問です。簡単に言うと、殺人事件や突然死など予期できなかった死のケースで、医学的にその死因などを究明すべく鑑定を行います。主要な業務は法医解剖ですが、それ以外にも法医解剖や死因究明などに関連した研究も行っています。
法医学はテレビや映画で題材になることが多く、かっこいい仕事という印象がありますね。
解剖を行なって真相に迫っていく仕事ですが、ただそれだけではないのも事実です。
実際の現場は……残念ながらテレビなどで描かれるようにはいきません。法医解剖は、汚い、きつい、 危険、臭い、気持ち悪い、などと言われることもあります。
大変なのになぜ法医学をやっているのですか?
やはり法医学の分野には魅力があるのです。ご遺体を法医解剖でじっくりと調べて、薬毒物検査などさまざまな検査を行ない、正確な死因を鑑定する。医学や科学に裏打ちされた検証によって死因を特定していきます。医学部の授業の中でも法医学の人気が高い理由は、やはり学問として魅力があるからなのです。

法医学の世界では、法医解剖だけではなく、法中毒学や法遺伝子学などの研究などもやるのですね。
はい。われわれの法医学教室では、アルコールが人体に及ぼす影響に関する研究や突然死の研究、進歩が著しいDNAを使用した個人識別なども力を入れています。
こうした研究は私たちの生活にどう活かされるのですか?
人がどのように死んでいくのかを精査することで、生きている人たちが、何に気をつけて生きるべきかといった有益な情報が得られます。また国民がどのように亡くなっているのかを正確に知ることで、公衆衛生や保健政策にも貢献できます。
例えば、日本の法医解剖の4割から体内アルコールが検出されている実態があり、アルコール性肝疾患やアルコールと突然死の相関関係などについて解明しようとしています。
DNAに関する研究なら、犯罪調査や遺骨鑑定だけではなく、大規模な災害などの身元調査などでも社会に貢献します。
奥田教授はもともと臨床医だったそうですね?
私は日本医科大学を卒業してから、形成外科医になりました。そして分子生物学を勉強したいと思い大学院に進学しまして、そこで同大学卒業者であるアメリカの法医学者、トーマス野口先生と出会ったことがきっかけで法医学の道に進みました。
トーマス野口先生は、地域の死因究明を担うアメリカ・ロサンゼルス郡検視局の局長を長年勤めた日本人法医学者ですね。
はい。女優のマリリン・モンローや政治家のロバート・ケネディなど多くの有名人を解剖した野口先生から、法医学者としての心構えを学びました。特に、「法医学は臨床に役立たなければならない」という先生の言葉が印象に残っています。野口先生は、法医学者ならば、国民の知る権利に答え、広く法医学の知見を共有しなければならないという信念をおもちで、社会を揺るがすような死亡事件が起きれば、積極的に記者会見を開くなど国民に訴えかけてきました。

(写真左より奥田・メリーランド州OCMEのDr.Fowler・トーマス野口氏)
アメリカの法医学の印象は?
アメリカの法医学者は自ら現場検証を行なって、法医解剖を行い、法廷でも証言を行います。まさに「ドクター刑事」ですね。
私もアメリカ留学で、実際に検視局で解剖と現場検証の修行を積みました。
そして帰国後は研究にも力を入れおり、その成果が評価されて日本学術振興会から研究予算を獲得したこともあります。
法医学の道に進むことに迷いはなかったですか?
迷いはありませんでしたが、アメリカの医師免許をとってアメリカで法医学に進むか、日本でやるかというところで迷いました。幸運にも法医学のポジションを出身校で確保できたので、日本をベースに活動することに決めました。
法医学者になってよかったことはありますか?
法医学者は単に解剖だけをやってればいいわけではなく、そこから得た教訓を社会に還元することや、学生教育も求められます。日本大学の教授に着任してから、医学部だけでなく、法学部や危機管理学部でも講義をすることになったのでうれしく思っています。法医学の枠を超えた社会学者として発信していきたいですね。
法医学者として現代の社会をどう見ていますか?
法医学をやっていると、普段はなかなか表に出てこない社会の病理を目の当たりにすることがあります。アメリカでは、法医解剖を通して、銃、薬物依存、人種差別の深刻な状況を見てきました。日本でも薬物関連死を多く扱いますし、最近はひきこもり中年者の孤独死や老老介護の共倒れなど社会の歪みを感じます。
これまでに苦労されたことは?
人生はなかなか思い通りにはいかないもので、出身校の教授選に敗れて悔しい思いをしました。あとは、留学中は英語で苦労しましたね。英語論文は書けても会話は難しいですね。
もともと日本大学医学部の法医学教室は、押田茂實先生や上野正彦先生など著名な法医学者が在籍していた伝統があります。今後、どんな法医学教室にしていきたいですか?
日本大学医学部社会医学系法医学分野は、確かに異彩を放つ法医学者を多数輩出してきました。そんな伝統のある法医学教室のDNAを受け継いで、地域を支える法医学者を数多く育てることが私の使命だと思っています。
また私は世界で有益性が認められているご遺体をCTなどで撮影する法医画像診断(オートプシーイメージング)の研究も行ってきました。本学でもこれから積極的に画像診断を取り入れたく、準備したいと考えております。

(似顔絵、左より奥田、押田茂實名誉教授)
法医学に少しでも興味をもっている研修医や学生にメッセージはありますか?
法医学者は幅広い知識が求められます。医学生や臨床研修中は何事にも積極的に取り組み、さまざまな分野の知識を吸収してください。臨床研修を修了後、やっぱり法医学者になりたいなと思うなら、ぜひ日本大学医学部に見学に来てください。
また、学生時代に法医学に興味を持っていたけど、卒後臨床医としてキャリアを積んだ若手医師の先生がいらっしゃるなら、これまでの臨床経験を法医学に活かしつつ、法医学者として第二のキャリアを歩めるように指導させていただきます。
加えて、薬物分析などの法科学関連職を希望の方がいらっしゃれば、是非われわれの仲間になって一緒に研究をすすめましょう。