昭和22年、敗戦の混乱冷めやらず、新しい時代への期待と不安が交錯した年の12月、当教室産声をあげました。
初代講座主任には国立公衆衛生院疫学部長であった野辺地慶三博士を迎えての始まりでしたが、
当時は板橋の医学部は戦災により大打撃をうけていたため、駿河台日本大学病院の一角を利用しての開講でした。
2年後の昭和24年には野辺地教授が新設された名古屋大学医学部公衆衛生学教室教授を兼務されることとなり、昭和26年に国立公衆衛生院統計学部にいた本学出身の大久保正一博士を助教授に迎え、板橋の医学部本部に本拠地を移すこととなりました。
昭和33年に退職された野辺地教授の後をうけ、昭和35年まで本学衛生学教室の及川周教授が兼担となりました。また、この間に病院管理学教室(現・医療管理学教室)に大久保正一博士が教授として移籍されたほか、当教室のスタッフも何名か移籍しました。
昭和35年に本学衛生学兼任講師もされていた東大公衆衛生学助教授の西川シン八博士を第2代教授に迎え、新たなスタートを切りました。爾来、教室の人員も徐々に増え、研究教育も充実してきました
昭和62年に西川教授が定年退職され、当時埼玉県衛生部長であった野崎貞彦博士を第3代の教授に迎えました。さらに、長年当教室で研究指導に当たってきた有賀徹助教授がわが国の医学部ではじめて設置された健康科学講座の教授に就任いたしました。
野崎教授の下に、今までの産業保健や疫学、地域保健といった分野の他に健康増進・健康教育といった分野も取り入れた新しい公衆衛生学の発展に取り組んでまいりました。
平成14年に野﨑教授が定年退職となり、新たに国立公衆衛生院(現・国立保健科学院)公衆衛生行政管理部長の大井田隆博士を第4代の教授に迎え、喫煙や飲酒などの生活習慣に関する疫学研究を行ってまいりました。
平成29年に大井田教授が退職となり、大分大学公衆衛生・疫学講座の兼板佳孝博士を第5代の教授に迎えました。
戦後の歴史とともに歩んできた当教室も70年の歴史と伝統をふまえ、教室員一同日本大学のモットーである和の精神のもとに、新しい世紀の公衆衛生の発展に寄与するべく鋭意努力いたしております。