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日本大学医学部内科学系 呼吸器内科学分野
Nihon University School of Medicine   Division of Respiratory Medicine

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先輩からのメッセージ

飯田 由子 先生

平成25年入局
日本大学医学部卒業

飯田由子先生
理想としていた全人的医療がそこに。

元々学生時代から、癌診療に携わりたいという思いがありました。

その後医学部を卒業し、初期臨床研修へ。複数の科を回りましたが、その中でも呼吸器内科がとても印象に残りました。なぜなら私の理想とする「全人的医療」が実践されていたからです。

現在、肺癌患者の多くが、発見時には進行癌であり、外科手術ができず、長期に渡って抗がん剤治療や放射線治療が必要となります。呼吸器内科の先輩医師は、よく話をしながら診察を行い日々の患者さんの体調に心を配ることはもちろん、家族の心にも寄り添い診察に従事しており、全人的に患者を診ている…。

「こうした内科的な側面からのサポートを、私はやりたいな・・」。心の奥底にある徳義心が、いつしか芽生えてきました。やがて研修を終え、そして呼吸器内科医への門を叩きます。

より良い治療法を見つけるべく、大学院へ。

内科ローテーションを終えたときにも、大事な決断をしました。それは大学院への進学です。医師が臨床の場で、患者さんをじっくり診るのは当たり前。私はそれを発展させる形で、臨床で得た知識や疑問を「より良い治療」「新しい診断」の開発に活かしたいと考えたのです。

選択した課程は、臨床と研究を並行実施する「横断型システム」。大学院の4年間のうち、1年目は主に臨床に取り組み、2年以降はそれまでに得た臨床データ、最新の医学情報、実臨床での疑問などを元に本格的な研究活動に入ります。先輩医師や研究技術員のサポートもあり、充実した日々を送っています。

研究テーマは、肺癌における薬剤耐性を持つ癌細胞について調べています。特に自分は肺小細胞癌について研究しています。肺小細胞癌は比較的、抗癌剤の効果が認められるものの、いったん薬剤耐性を得るとたちまち効き目がなくなり、さらには他の臓器にも転移しやすくなるという病気です。これまで長らく耐性時の分子生物学的なメカニズムは不明な点が多いとされてきました。そこで、肺小細胞癌の細胞がいかにして薬剤に耐えうるようになるか、さらに分かっていないメカニズムを突き止めたいと考えています。いずれ発表する論文が、少しでも患者さんのためになることを願っています。

また、大学院に進むと臨床経験が少なくなる…。臨床医を目指すとなれば誰だって不安に感じますよね。その点、呼吸器内科の場合、とてもバランスよく毎日を過ごすことが出来ます。事実、私自身、大学院の研究を進めながら、同時に臨床医としての診療もバランス良く実践できていると思います。

医師として、女性として、目標となる人が傍らに。
飯田由子先生

他に、呼吸器内科の良いところを挙げるとしたら、特に女性医師が多いことだと思います。

私達の医局では約3割女性医局員が在籍しています。これは全国的にみてもとても多いと思います。

また、入局してから一緒のグループであった2名の指導医はたまたま女性でしたが、急変時お二方とも「ここぞ」というタイミングで処置を決断され、対処されていました。まさに、冷静かつスピーディ。尊敬できる女性医師の先輩がたくさん身近にいることも私達若手にとってとても心強いです。

また、結婚、出産されている先輩方もいらっしゃいます。私も昨年結婚しました。

女性医師には結婚など色々なライフステージがあると思いますが、医師として働きながらも、女性として輝く。それを目指していけたらと思います。

「亡くなった方の記憶に残る医師に」。これもまた、私の掲げる目標です。本来は病気を治すのが医師の役目ですが、肺癌の場合、どうしても病院のベッドで最期を迎えることが多いのが現実です。だからこそ緩和医療も含め、全人的に患者さんやご家族の心のケアにも取り組みたいです。そのためには、まずもって人間性を磨く必要がありますね。精一杯、頑張ります。

萩原 エリ 先生

平成25年入局
日本大学医学部卒業

萩原 エリ先生
姉に刺激を受け、医師を目指すように。

私自身、小学校低学年の頃は病気がちで中学生になる頃までは病院に通院する機会が多く、長期入院することもありました。幸いにもその後は健康に過ごすことができましたが、自分の中でなぜか自然と「医者になりたい」という思いが芽生えました。それを確かなものに変えてくれたのが、7つ年上の姉です。彼女は文系の大学を卒業した後に、決意を新たに猛勉強し、都内の医大に進学します。そんなチャレンジする姿に触発され、「私も医者になろう」と勉強に励みました。

目標を周囲に表明したのは、高校1年のとき。私の母校では280人の同級生の前で「将来の夢」を発表するイベントがあります。その際、スピーチ原稿を何度も推敲し暗記するうちに、自分の内に秘めた熱意や志向が明確になったのです。「ひとりでも多くの人の命を助けたい!」。ストレートかつ堂々と宣言できました。そして数年後、日大医学部の門を叩きます。

指導医の姿を見て、入局を決意。

内科の先生と接する機会が多かったからなのか、大学入学当初から内科を志望していました。

ではなぜ、たくさんある内科の中でも呼吸器内科へ入局するに至ったのか…。

第一の理由は、研修医時代に肺がんで苦しむ患者さんと向き合ったことにあります。大学病院に入院される方は、末期まで進行された方が多くいらっしゃいます。つまり呼吸器内科の医者は、人生の最期に立ち会うケースが圧倒的に多いのです。「微力でもいい、役に立ちたい」。使命感のような感情が、心の底からわいてきました。「治りにくい病気だから」と敬遠するクラスメートが多かったのは事実です。でも、逆にそれが発奮材料になりました。

第二の理由は、先輩の人間性に惹かれたから。特に初期臨床研修時の指導医の先生方からは「患者さんと接する際の所作」を教えていただきました。化学療法は、患者さんにとって肉体的にも精神的にも重い負担。そんなときは誰だって少なからず訴えを聞いてもらいたいときがあると思います。でも、先生方はその訴えに耳を傾け、そばに寄り添い、その上で冷静沈着な判断をくだします。目指すべき医師像を示していただきました。

正確な判断がくだせるように、努力あるのみ。
萩原 エリ先生

医局の特長を一言で言うと、「雰囲気が抜群!」がん、喘息、感染症、COPDなど専門分野ごとに主治医がいて、親身になって指導していただける、この体制は研修医にとって本当にありがたいんです。

グループの垣根を越えた交流があるのも、他科にはない特長かもしれません。専門外の事柄でも疑問があればすぐに教えていただけます。また部長の橋本先生が、メンバーの個性や志向を把握し、適材適所で配置していただけるのも心強いですね。

現在は検査もしくは病棟の仕事をさせていただいていますが、自分自身の意見も尊重していただきながら常に熱いご指導を受けられること、それは呼吸器内科に入局して本当に良かったと思える理由の一つです。

今は一歩一歩、前進するのみ。そして、いつかは正確な判断がくだせる医師になりたいと考えています。近いうちに他の病院で経験を積むことになりますが、戻ってきたら、心も知識も技術も備わった先輩方に少しでも近づけるように頑張りたいですね。

高野 友喜 先生

平成24年入局
日本大学医学部卒業

アレルギーへの関心が、やがて内科志向に。
高野友喜先生

祖父が医師で、両親が歯科医。そんな家庭環境で育ったので、ごく自然に医療関係の仕事につきたいと考えていました。医者になる意志を固めたのは、祖母の死に直面したから。すい臓ガンでした。おばあちゃんっ子だった私は、よくお見舞いに行って励ましていたんですが、願いもむなしく返らぬ人に…。「助けてあげたかった」。その思いが今も根底にあります。

大学に入学してしばらくは、専門分野を決めかねていました。ところが5年生のとき、知人がアレルギー疾患を患い、アレルギーの仕組みや治療法に興味を抱きます。初期臨床研修で一番最初にお世話になったのが、この呼吸器内科です。耳鼻科や皮膚科へ行く前に、アレルギーについての全般的な知識を得ておこうという狙いでした。ところが結果的には「呼吸器内科しかない!」という思いに至ります。

その一番の理由が、初期研修時に指導していただいた先生のアレルギーに関する知識量に感服したから。様々な症例を詳しく教えていただくうちに、徐々にはまってしまったというか…。「私がやりたかったのは、これだ!」。この時点で、決意します。それと同時に、アレルギー以外にも肺ガンや間質性肺疾患など、多様な病気の知識を得る喜びを感じるようになりました。

「緩和医療」の大切さを自問自答する日々。

研修の2年目にはローテーションで、他の内科や循環器や耳鼻科もまわりました。でもやはり呼吸器内科で働きたいという気持ちがますます募るばかり。最大の理由は、医局の雰囲気のよさ。どの研究室もアットホームで、居心地がいいんです。

ちょっとしたミスをしても、そこに周囲の先生方の適切なフォロー、研修医の同期の励ましがすかさず入ります。「よし、早く一人前になって、リベンジするぞ!」と、周囲の明るさに呼応するように、ポジティブ思考で過ごしています。

今は入局してまだ日が浅く、医療について多くを語るレベルには達してはいませんが、重視しているのは「緩和医療」です。肺ガンは、他の臓器のガンより予後が期待できないと言われています。肺線維症も、治りにくい病気のひとつ。だから「どうしたらこの人が幸せな最期を迎えられるのか」を、私たち医師が考えなければなりません。その結論を導きだすには、患者さん、そしてご家族とのコミュニケーションが基盤になります。今は、先輩方の背中を見て、そのスキルを学んでいるところです。

患者さんに対して、常に積極的アプローチを。
高野友喜先生

この医局をめざす方へのメッセージですか? 日大ではグループ主治医制をとっていて、指導体制は万全です。特に呼吸器内科は、個性的な先生が多く、毎日が刺激的。いつも優しく、ときに厳しく指導していただけます。そしてなにより嬉しいのは、担当医に最後まで任せてくれること。自主性をもった臨床が重視されるのです。逆にいえば、患者さんに対しては、常に積極的な姿勢で接しなければなりません。その姿勢を維持すれば、きっとご家族からも信頼される医者になれると確信しています。みなさんも、私たちと一緒にがんばりましょう!

小山 大輔 先生

平成21年入局
日本大学医学部卒業

基礎研究と臨床の並行にチャレンジ。
小山大輔先生

3年目の内科ローテーションが終了してから、呼吸器内科へ入局し、同時に大学院に入りました。いわゆる大学院課程における臨床と研究を並行して実施する「横断型」というシステムです。この制度は他の科でも採用され、呼吸器内科では、部長である橋本先生が主導して平成22年4月からスタートしました。

臨床と研究を並行するとはいえ、やはり大学院に席を置く以上、基礎研究がメインになります。テーマはアレルギー。小児喘息をはじめとするアレルギー疾患の根本を探っています。いまだ解明されてない分野だけに、研究には相当の時間が割かれます。

しかし、臨床医としての経験値を落とさないことも大事。そこで、夏季休暇や春季休暇などを利用して病棟にはいって診察に立ちあったり、各種カンファレンスや勉強会に参加したりなど、指導医の先生方のご配慮をいただいています。

目の前に「生きた最先端の論文」がいる。

呼吸器内科では「airway and allergy研究室」に所属しています。この研究室のメインテーマは「気管支喘息」です。吸入ステロイド治療の開発以降,気管支喘息による死亡率は低下しましたが,患者数は減っていません。気管支喘息はアレルギー疾患であり,この分野はいまだ完全には解明されていません。患者数,発症数を減らすことは基礎研究での根本的な病態解明が必要です。研究室には喘息のスペシャリストの先生方がたくさんいます。

また,呼吸器内科には分野ごとにスペシャリストがいらっしゃるので、より細分化した分野へ進んでも戸惑うことはありません。例えば、COPD,肺癌,間質性肺炎などのなかでもいまだ治療法が確立していない難しい病態に取り組む先生がたくさんいます。そして最先端の治療法に果敢にトライされています。まさに目の前に「生きた最先端の論文」が存在する…。これって、すごく恵まれた環境だと思いませんか?

将来の目標を設定できず悩んでいる同級生も珍しくはありません。そういう意味では、僕にとって呼吸器内科に入局した選択は大正解でした。

すぐれた指導医の存在が、とても心強い。
小山大輔先生

最初に申し上げましたが、僕は大学院生でもあり、今まさに論文を仕上げている最中です。そこで心強いのは、海外でも研究活動をされた優秀な指導医がいらっしゃること。よい論文を書き上げる道筋がたてやすい環境にあるのです。また週に3日は、医局のカンファレンスにも参加できることも大きな魅力。つい見落としがちな症例や治療法も、画像を見ながら把握できるし、不明点は指導医からレクチャーしていただけます。いうなれば、基礎研究の場にも、臨床の場にも、頼りになる指導医が付いている…。これぞ「横断型」の最大のメリットでしょう。4年間大学院で学びましたが、その期間でも、臨床医としての階段を着実に登ったと実感しています。

呼吸器内科の指導医の多さは、ずば抜けています。僕の所属する「airway and allergy研究室」だけでも4人いらっしゃいます。医局全体で言えば、おそらく他大学の追随を許さないでしょう。

僕の理想は、病気の根本を解決する基礎研究をふまえたうえで目の前の病態と向き合い、患者さんの命を救うこと。現在お世話になっている指導医の先生方をお手本にしながら、自身の理想に近づければと考えています。

神津 悠 先生

平成20年入局
日本大学医学部大学院修了

神津悠先生
僕が医者を志した理由。

医者を目指したのには、2つのキッカケがあります。ひとつは、自分自身が幼少期に小児喘息を患い、入退院を繰り返していたこと。幸いにも全快しましたが、ひとえに担当の先生をはじめとする病院の方々のサポートがあったからこそ。幼心に「将来は人の命を救える職業に就こう」という目標をたてました。

もうひとつは、医師である祖父と父、ふたりの影響を大きく受けたことです。いわゆる町医者で、患者さんと親身になって接するふたりの姿を見て育ち、ずっとリスペクトしていました。そして高校生になると、医学部受検のため猛勉強。努力が実り、日大医学部に進学します。

入局を決意させた恩師の言葉。

内科の中でも花形と言われるのは、循環器と消化器。カテーテルを使った治療など、先進的治療が実施されるゆえ、研修医はこの2科に注目しがちです。そんな中で、なぜ僕が呼吸器内科を専門としたか…。それは以前から、臨床を行ううえで偏りのない診療を行いたいという思いが強かったからです。特に肺をはじめとする呼吸器の病気は、レントゲンやCTをとったからといって、確実には病状を把握できません。むしろ、問診を通して患者さんの生活背景をつかむことが重要です。つまり「臨床を実践する喜び」があるのです。

また、呼吸器内科部長である橋本修先生の言葉に共感を覚えたことも大きいです。「呼吸器内科で働くには肺や気管支だけでなく、他の臓器についての深い知識も必要」。例えば、肺ガンは、脳や心臓など他の臓器へと転移する可能性が高いがゆえに、呼吸器内科では多様な知識を持ちあわせるべきなのです。言い換えれば、多角的な医療に携われることであり、この点にも惹かれました。

垣根のない自由闊達な雰囲気が心地いい。

入局してまずよかったと感じたのは、呼吸器内科がスペシャリスト集団だったこと。肺ガンをはじめ、気管支喘息、肺感染症、呼吸不全、COPDなど、それぞれに専門家がいて、なおかつ、その人数は都内の総合病院でも随一です。したがって知らない事柄も、その専門分野の先生に尋ねれば、必ず答えが返ってきます。ときには、発表前の最新研究データもおしみなく教えていただくことも…。

医局には自由闊達な雰囲気にあふれ、研究室の垣根を超えた人的交流が展開されています。これも呼吸器内科の魅力ではないでしょうか。

総合的な視点をもった臨床医をめざして。
神津悠先生

僕は今「airway and allergy研究室」に所属し、喘息やCOPDなどを患った患者さんの呼吸機能の検査をしています。その前は、大学院で4年間「アレルギー」の基礎研究に携わりました。研究に時間を費やすと臨床力がおちるのでは、と危惧される人もいるでしょうが、この呼吸器内科ではそんな心配は無用です。なぜなら大学院と研究室の先生同士の連携がしっかりしているから。実際、僕の場合は、先生方の計らいで医局内のカンファレンスや内視鏡検査などに定期的に参加させていただきました。研修医としては、ありがたいかぎりです。そして先生方の熱意に報いるためにも、大学院での経験やスキルを、必ずや臨床の場で活かしたいと思います。

将来の夢? やはり病態生理の分野で何かしら新しい治療法の確立に関与したいですね。そして、橋本先生がおっしゃるように、肺や気管支だけでなく、心臓や消化器の症例にも詳しい総合的な視点をもった臨床医になりたいと考えています。

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