インタビュー

仲沢 弘明 医師

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傷を治すのは,患者さん自身のチカラ。そのチカラを引き出すために尽力する。

インタビュー 仲沢 弘明(なかざわ ひろあき) 形成外科 部長
1983年,国立三重大学医学部卒業。1983年,東京女子医科大学形成外科入局。1991年,University of Texas Medical Branch,Shriner Burn InstituteへPostdoctoral Fellowとして留学。1993年,東京女子医科大学形成外科へ帰局。2000年,鹿児島市立病院形成外科 科長。2002年,国立病院東京災害医療センター形成外科 医長。2007年,東京女子医科大学東医療センター形成外科 教授を経て,2010年,日本大学医学部形成外科 主任教授就任。現在に至る。

学生時代の病院実習で,形成外科の現場に魅了され,進路を決意。

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形成外科医がどんな診療を行うか,即答できる人は少ないでしょう。至極当然です。形成外科は戦後になってようやく認知されてきた分野で,この私だって医学生時代はよくわかってなかったのですから。

ということで,本題に入る前に少し解説させていただくと,形成外科とは,顔面,手足など先天的にカタチの異常が見られる部分を中心に,先天的な形状の異常,後天的な体表面の腫瘍,変形,外傷,傷跡などを治療する医療です。皆さんよくご存知の整形外科は,機能や運動面を重視し,骨,筋肉,神経を扱いますが,形成外科では外見や形を重視し,主に皮膚や脂肪組織など軟部組織を扱っています。

私は幼いころからずっと,外科医をめざしていました。手先が器用であることを自覚していたので,メスを握って多くの命を救う外科医に憧れる少年だったわけです。大学へ入ってからは肝臓,胆嚢,膵臓の機能に興味をもち,消化器外科医になろうと考えていました。それがなぜ,形成外科医の道を歩むことになったのか。分岐点は,医学部6年生の夏休みのこと。形成外科という耳慣れない名称に関心を抱いた私は,「病院実習で,形成外科を一度は見学しておこう」と思い立ちます。しかし,私が通っていた大学には形成外科がない。そこで郷里の大先輩である羽生先生をしたって東京女子医科大学へ2週間の病院実習に赴きます。最初の1週間が形成外科,残りの1週間が消化器外科という予定でした。ところが,羽生先生の消化器外科をキャンセルし,2週間続けて形成外科見学を申し出ることになってしまいます。というのも,目の前に繰り広げられる再建手術の様子に魅了されてしまったのです。

当時の東京女子医大形成外科は,総勢10名の少数精鋭。活気に溢れ,症例も多く,仕事場として理想的環境だった。そこで私がとった行動は,自身の売り込みです。
「卒業したらここで働かせてください!」
当時の平山教授に直訴しました。無鉄砲ですよね。でも,その若さを買っていただいたのか,数カ月後に手紙をいただきます。
「貴兄の入局を認める」
その文面を見た瞬間,欣喜雀躍しましたね(笑)。

「スキンバンク」の設立で,日本でも超早期手術の道が開かれる。

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東京女子医大形成外科に入局したのは,1983年5月のこと。前年秋に,日本で最初の重症熱傷治療の専門施設「熱傷ユニット」の設立されていました。1975年におきた新宿西口バス放火事件を契機に,東京都が女子医大と日本歯科大学高度救命センターに委託したのです。

医者になってすぐ,新規事業に携わる。これも運命でしょう。研修医である私も,諸先輩にまじって重症熱傷患者にかかわります。輸血管理から感染対策,栄養感知まで熱傷創の管理に従事しました。

「熱傷ユニット」は都内に2ヶ所だけで,しかも人員にも限りがある。全身に熱傷を負った方が毎日のように搬送され,2週間の泊まり込みなんて当たり前。ただただ「一人でも助かって欲しい」と願いだけが心の中を占めていました。

とはいえ,その願いが届かないケースはあります。今でも記憶の奥底に刻まれているのは,70℃のお風呂で全身熱傷をおった6才の男の子。私も担当医の一人として治療にあたりましたが,症状がまったく改善されなかった。最後まで経過を見届る義務があると判断し,ほぼ4週間つきっきりでした。でも,結局は帰らぬ人に…。するとベッド脇の親御さんが私に向かって「ご尽力に感謝します」と深々とお辞儀をされたのです。自分の未熟さが悔しくて,悔しくて。早く一人前になってやる!と誓ったのは言うまでもありません。

熱傷の恐ろしさは,熱傷した部分から毒素が発生し,それが全身にまわってしまうこと。急性期に助かっても,その後の感染症や敗血症による多臓器不全の可能性が残ります。だから,壊死した組織は早く切除したほうがいいんです。しかし当時は,全身状態が落ち着いてから手術することが通例でした。

私は最新の治療法を学ぶために,1991年から2年間,アメリカ・テキサス州にあるシュライナー熱傷施設へ留学します。ここでは,受傷後24時間以内に手術を行い,良好な臨床結果を得ていました。まさに私の理想がそこにありました。

帰国後,さっそく「超早期手術」に取り組みます。ところが,広範囲熱傷患者ほど移植する皮膚が足りないという現実を突きつけられます。でもね,念ずれば通ずる。日本でもようやく「スキンバンク」が設立され,凍結保存された同種皮膚移植が可能となりました。そして,私自身初めてのスキンバンクからの皮膚移植を体験します。患者は,やはり風呂に転落して80%の熱傷を受傷した6歳の男の子。48時間以内に手術をし,無事命を救うことに成功しました。

彼とは定期的に連絡をとっています。退院後は健やかに成長し,高校時代は硬式野球部で4番バッターとして大活躍。現在は,大学生です。先日,ひさしぶりに電話で話したところ,品のある大人の口調になってました。嬉しい限りです。

創痕を目立たせないようにして,患者さんの社会復帰の後押しを。

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形成外科医になって約30年。重症熱傷の手術に携わった患者さんは数えきれません。生まれたて間もない赤ちゃん,若いお嬢さん,働き盛りの男性…。レース中の事故で全身熱傷をおったレーシングドライバーもいます。ほんどの人は,瀕死での対面。手術後しばらく意識が戻らない人もいます。でも我々があきらめず治療に臨めば,多くの人は回復へと向かうもの。

そう,傷を治す原動力は,患者さん自身が持つ治癒力なんです。我々は,それを後押しをするのみ。私は患者さんと向き合うたびに,生命の神秘に畏敬の念を抱き,すべての経験を吸収し糧にしています。

医者は万能ではありません。まして神の手なんて持ちあわせていない。全身熱傷のような救急医療の現場では,いくら有能であっても一人では何もできません。肝心なのは,チーム体制です。手術室では,麻酔科医や,看護師,薬剤師とも連携します。また,術後のサポートもすこぶる大切であり,理学療法士によるリハビリはもちろん,ときには精神科医による心のケアも実施します。

そういう意味では,板橋病院は消化器外科,耳鼻科,整形外科,皮膚科など,科の枠を超えた人的な繋がりがあり,このうえない環境でしょう。現に,万全のチーム医療が実施されています。そうした「科の狭間」に位置しながら再建手術にあたる形成外科の役割は大きいと言えます。例えば,ガン部位とその周辺を切除した場合,体の他の部分から自分の組織を持ってきて元の形をつくるマイクロサージャリーなどの先進技術を用いて,創痕が目立たない整容的な治療も積極的に行っています。言いかえれば,他の科では治しきれない傷を治すのが我々の仕事です。

最初に申し上げましたが,形成外科は他に周知されない地味な医療分野です。しかし,患者さんの社会復帰に直結する重要な役割を担っているのは間違いない。私は教育者でもありますから,学生諸君に形成外科で活躍する意義をさらに説きたいと考えています。

(2012年10月11日 取材)

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