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教室の沿革

正14年3月に本学部の前身である日本大学専門部医学科が創立されて間もない昭和2年に、眼科が駿河台病院に開設され、初代教授として廣田敏夫(東京帝大 大正元年卒)が就任しました。

和10年に板橋病院が開院し専門部医学科も現在の板橋キャンパスに移転した後、昭和13年に第2代教授として中川順一(東京帝大 昭和2年卒)が就任し、昭和20年まで、眼科診療、医局員の指導、学生教育を行いました。

の間、昭和17年には専門部医学科から医学部(旧制)昇格後、第3代主任教授として国友昇(東京帝大 昭和6年卒)が昭和21年に就任し、昭和48年定年退任まで、結膜疾患を中心として臨床、研修を指導し、昭和39年の第68回日本眼科学会総会を主宰しました。

友教授の後任として北野周作(東大 昭和24年卒)が就任し、昭和55年からは第5代主任教授として角膜疾患を中心に診療研究を行い、平成元年には第93回日本眼科学会総会を主宰しました。

野教授退任後の平成4年に現在の第7代主任教授の澤 充(東大 昭和48年卒)が就任し、日本大学医学部附属板橋病院病院長も務めました(平成17年~23年)。また平成21年には第113回日本眼科学会総会を主宰しました。

和38年の駿河台病院改築に伴い眼科部長として加藤 謙(慶大 昭和13年卒)が就任し、眼底疾患を中心に診療研究を開始し、医局員の指導を行い、現在の駿河台病院眼科の礎を創るとともに、国友教授退任後、第4代主任教授を務め、日本眼科学会理事長として日本の眼科の発展に寄与しました。また、昭和50年には第29回日本臨床眼科学会総会を主宰しました。

藤教授退任後、松井瑞夫(慶大 昭和29年卒)が教授に就任、我が国における網膜硝子体手術の先駆的役割を果たし、第6代主任教授を歴任するとともに、駿河台病院長を勤めました。また、平成5年から7年に日本眼科学会理事長を務め、平成6年には第48回日本臨床眼科学会総会を主宰しました。

成15年には湯澤美都子(日大 昭和50年卒)が教授に就任し、澤教授退任後の平成25年に第8代主任教授に就任しました。黄斑疾患を専門に診療研究を行い、平成23年には第65回日本臨床眼科学会総会を主宰しました。

成28年には湯澤教授退任後に山上 聡(金沢大 昭和63年卒)が第9代主任教授に就任し、角膜移植手術、角膜研究を中心に指導を行っています。

馬光が丘病院は平成3年の病院開設に伴い﨑元 卓(長崎大 昭和38年卒)が眼科部長となり、平成14年から加島陽二(日大 昭和57年卒)、平成22年7月から山崎芳夫(日大 昭和55年卒)が眼科科長として医局員の指導を行いました。

教室は、長年に渡り、板橋病院眼科と駿河台病院(現日本大学病院)眼科が切磋琢磨し、専門領域に特色を持って我が国の眼科臨床と研究の中核として発展してきました。後期研修では板橋病院、駿河台病院の特色を活かした眼科全般を研修できる態勢をとっています。2病院間では、卒後研修や関連病院での医局員人事の相互交流が活発に行われ、また、専門外来の運営についても、共同作業が行われています。

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