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医局のご紹介

教室の歴史

内科学講座の大講座制への移行により、2004年(平成16年)4月、旧第三内科学教室から、消化器肝臓内科学分野とともに内科学系糖尿病代謝内科学分野は誕生いたしました。

これまでの歴史
1954年(昭和29年)6月
旧第三内科学教室は、有賀槐三教授によって日本大学医学部附属駿河台病院(通称、駿河台日本大学病院)に開講。その後、本田利男教授、松尾裕教授、荒川泰行教授へと引き継がれる。

1970年(昭和45年)6月
新板橋病院(日本大学医学部付属板橋病院)が完成。

1991年(平成3年)
日本大学医学部附属練馬光が丘病院の開院。これにより、駿河台・板橋・光が丘の3附属病院の診療を担うこととなる。

2004年(平成16年)4月1日
旧第三内科学教室から、消化器肝臓内科学分野とともに内科学系糖尿病代謝内科学分野は誕生。

2007年(平成19年)4月1日
消化器肝臓内科学分野に森山光彦教授が就任し、平成20年度より糖尿病代謝内科学分野の主任教授代行を兼任。

2008年(平成20年)9月1日
石原寿光教授が就任し、現在の形へ。

2010年 トピックス:石原教授より
「一歩一歩、着実な基盤づくりとさらなる加速に向けて」
 2008年9月に糖尿病代謝内科教授に就任して以来、入院患者の診療にあたっては、旧第三内科の兄貴分である消化器肝臓内科の先生方に多大なる支援をいただいてきました。
 2010年6月からは、新たに糖尿病専門診療として病棟を運営していきます。消化器肝臓内科はもとより多くの科との連携を大切にしながら、ニーズの高い糖尿病専門医を数多く育てられるようスタッフ一同努力して参ります。
 また、片山学部長、浅井探索医療・ゲノム疫学分野教授のご配慮・ご厚意により、リサーチセンター内で十分な実験スペースを使わせていただくことができるようになりました。日本大学に移ってから、生化学教室のベンチをお借りして細々と研究を続けてまいりましたが、今後は本学からオリジナルな成果を発信できるよう頑張りたいと思います。

 学生には、だいぶ顔を知られるようになりました。大山の街を歩いていて、声をかけられることも多くなりました。講義ではだいぶ肩に力が入らなくなりましたし、ベッドサイドの実習も楽しくやっています。このように、一つの独立した教室として体裁が整ってきまして、やっと一歩を踏み出せるという思いです。まだまだ、教室の基盤づくりに時間が必要ですが、新入医局員も入りましたし、一つギアを上げて走りたいと思います。


「2010年は日本の糖尿病医療・糖尿病学にとって忘れられない年に」
 インクレチンを基盤とする薬剤が本格的に導入されましたが、その広がりは予想以上です。糖尿病非専門医の先生方からの関心も非常に高く、期待を裏切らない効果が認められています。一方で、SU剤と併用した場合の低血糖が問題になっております。糖尿病学会および糖尿病協会のホームページにも注意が示されていますが、大切に育てていくべき新たな薬剤ですので、慎重に対処していきたいと思います。
 また、制約はありますが、CGM(持続糖モニターリング)がこの4月より保険適応となりました。ホルター心電図のように24時間(通常は72時間)連続して皮下のブドウ糖濃度を測定・記録する装置です。新たなデバイスによって糖尿病の病態の解析、治療効果の検討が進むものと期待されます。
 もうひとつ取り挙げたいことに、日本糖尿病学会の英文誌創刊があります。私は、以前から日本の糖尿病研究の水準は世界のトップレベルであるので、日本独自の研究誌ができるのを望んでおりました。私も編集委員として、微力ながら一流誌になるよう尽力させていただきます。


「板橋区での地域医療連携体制の構築・整備への取り組み」
また、大学病院での診療に関して、昨年6月末から板橋区において糖尿病医療連携体制の構築が始まっています。いくつか問題点も生じていますが、患者さんにとってより良い医療を受ける環境の整備、そして板橋病院という大学病院の特徴を十分発揮できる体制を作るため、問題点を一つずつ解決しながら、取り組んでいきたいと思います。

 周囲を見渡せば、大学における教育・診療・研究を巡る状況は、急速に変わりつつあります。足元を確かめながら、糖尿病学の一流の教育・診療・研究拠点を築くという目標に向かって、新たな一歩を踏み出したいと思います。